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    川沿ひに細長く続いている河原町の通りは、地勢のせいでゆるい下り勾配をなしていた。所々で屋並みが切れて、そこには茶畑があつたり、空樽が乾してあつたりするかと思ふと、次の空地にはどこの家で使つているのか判らないやうな大きな井戸がその円く肥つた腹のやうな焼物の縁をたゞあつけらかんと日に照されていたりした。

    「金色夜叉」はやはり小説であると、わたしは思った。

    これがこの小さな字である。

    それはまるで、よほど深く知り合つた間柄の、何年か見ずにいた者同士だけがやるやうな並外れて馴れ馴れしい様子だつた。

    房一も口少なに、親しげに徳次を見まもつていた。子供の時とちつとも変りのない、きよろんとした大きな落ちつきのない眼、気短かさうな筋の立つた前額、うまく口のきけない、話すたびに何かにひつかゝつたやうな動きをする口もと、――それらは何もかも昔のまゝだつた。いや、それらの顔形は部分的には子供時分のものとはかなりにちがつていた。だが、目に入る顔形のそれぞれは、悉く何かしら思ひ出をよび起すものであり、それによつて顔形の奥の方に在るもの、かんしやく持ちで、へうきんで、人の好い徳次といふ子供を、その魂といつたやうなものを、ありありと浮び出させるのだつた。馴染深い、気の許せる、ふしぎな心の温味。

    と、呟き、房一に向つてしきりとうなづいていた。

    日々は平凡に単調に過ぎて行つた。

    家の入口には二軒の百姓家が向い合って立っている。家の前庭はひろく砥石といしのように美しい。ダリヤや薔薇ばらが縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍しいダリヤや薔薇だと思って眺めている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。評判の美人である。彼女は前庭の日なたで繭まゆをにながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小舎ほどもある枯萱を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希臘ギリシャの水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ!

    「はい、若先生に代りに行つてもらへとおつしやいました」

    ところが驚いたことにはこの男は、房一があらゆる初対面でやる鹿爪らしい挨拶の文句を今やはじめようとしたときに、いきなり前に立ちはだかるやうに、と云ふより、殆ど気づまりのするほど真正面に近々と顔をよせて、おまけに露骨に房一の顔を見入りながら、

    ――彼は医者である。免状もある。開業もした。患者もどうにかつきはじめた。職業的には立派に医者としての条件を具へつゝある。だが、河原町ではそんなことは通用しないのだ。何か別のものが、職業上の条件以上のものがここでは必要だつた。

    「あんまり、ぢつとしとつてもな、身体が生なまに、なるもんぢやから」

    今さつきまで誰もいなかつた通りの、ずつと先きの方から黒い人影が歩いて来るのである。袴をはいて小さな風呂敷包か何かを抱へている、そのやはり背高な、直立したまま急ぎ足に歩く恰好はまぎれもない町役場の書記の今泉だつた。

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